あまり日本では聞かないかもしれないけど、西洋社会ではリベラルというスタンスはかなり重要に考えられてる。いや…日本でも重要か。
ポリティカルコレクトネスなどもよく聞く言葉で、社会的に個人や民族を差別するスタンスをとることは知識層では嫌悪されている。会社やイベント、どのような場所でも差別に繋がるような発言は控えなければ、あっという間に距離を置かれてしまうだろう。
しかし、政治の得票率やデモなどが起こりナショナリズムが台頭しているの事実だ。それでも、表立ってナショナリズム的な発言はできない。
しかし、このリベラルやポリティカルコレクトネスの定義はなにか都合よく作られている気がする。今のご時世で言えば、イスラムに対しての風当たりが強い。
戒律(ハラール)が多いイスラム教では、男女平等や同性愛などとの衝突があるからだというのが一般的な理由かもしれないが、それをいればキリスト教、ユダヤ教などの所謂アブラハムの宗教は似たような性格を持っている。確かに、イスラム教はこれらの宗教と比較して世俗化があまり進んでいないかもしれないが、問題はそこではないのだ。
リベラルにとって、最も重要なことは本人の意思の尊重であるはずなのに、目立つマイノリティの意見によって本人の意思が尊重されていないことがある。
ネット上で読んだ記事だが…
ある空港の待合室。一人は欧米系の白人女性。彼女はホットパンツにタンクトップにサングラス。まぁ、ヨーロッパの夏になればホントよく見る服装だ。
一方、もう一組の夫婦がいる。アラブ系の男性に、その妻。彼女の服装は全身黒のブルカ。そりゃー暑そうだ。白人女性はその嫌悪感を隠しもせず、そのブルカ姿の女性を怪訝な目で見る。
その白人女性にとっては、彼女は権利を虐げられ自主性もなく、旧世代の忌避すべきようなものに映ったのだろう。そして、自由に現代社会に生きる自分の正当性を確信している。
しかし、これこそ差別のはずなのに。この白人女性は、自分が正しいと信じ、この夫婦を軽蔑する権利があるかのような態度をとっている。
もし、このブルカを着た女性が着たくもないのに、旦那に無理矢理着せられているのあれば、問題だが。それを、どう白人女性の彼女は知ることができるのか。そこには相手の意思の尊重などなく、ただ自分の価値観にそぐわないものを軽蔑する差別があるだけだ。
※わかりやすい例のために白人女性をピックアップしています。特に悪意はないし、白人女性大好きです。結婚してくだしあ。
最後にまとめる、自分がリベラル、公平と信じることにより、個人の意思の尊重という本来の目的を失ってしまうことがある。まさしく、リベラルの落とし穴だと思う。
※個人の意思の尊重という意味では、リベラルは優しい考えだと思ってます。
まぁ、イスラムが嫌いという意見も個人の意思ではあると思うけど…